腕時計のない不便さを感じて

先日母が具合が悪くなり、緊急で出かけることになりました。

慌てふためき、腕時計と車のキーを取り出し、確かに手首に巻いたつもりでしたのに、いざ病院の救急センターに到着すると、手首に腕時計がはまっていません。

一体どうしてしまったのだろう、途中で落としてしまったのだろうか、と気が気でなかったが、ひとまず母の容態が心配で思考は放置しておきました。

病院にはあちこちに大きな時計があり、その壁時計を見れば時間の把握に困ることはなかったからです。

車椅子の母をトイレに連れて行ったり、狭い診察室に幾度も出入りしたり、四苦八苦して過ごしていましたら、あっという間に時間が経過したようでした。

診察や結果を伺って受付の支払いを待つ間にはもう2時を回っていました。

しかし自分の腕時計がないとやはり不自由で、部屋や場所によっては壁掛け時計がないところもあるので、時計を持たないとこんなにも困るものなのだな、とつくづく時計のありがたさを感じました。

その時に時刻を知ったのは、テレビの情報番組の左上に時刻表示されていたものを見てのことでした。

午前中に出てきてたのに、これほど素早く時間が過ぎてしまっているのか、と時間の持つ不思議さを思いました。

今、スマホだけで腕時計を携帯しない若者もいるそうですが、不便でないのかしら、と改めて思いました。